“正しい常識”で判断しよう

こんにちは、スピーチトレーナー高津和彦(こうずかずひこ)です。

今回は問題提起をひとつ。
 


俳優の火野正平が自転車で全国を巡るTV番組シリーズをよく見る。
大胆不敵な言動がいい。
ちょっと照れ屋だけど。


その中で。
彼が道端の湧き水を飲むシーン。
自転車で山越え谷越え、きれいな湧き水があったら、そりゃ飲みたくもなるだろう。

その時、画面下に小さくテロップ。
何と!!

自己責任で飲んでいます


これ、どういう意味?

湧き水を飲むのに、誰が責任を負う?
彼が好きで飲んでいるんだろう?
自己責任、当たり前じゃないか。

それを本人がして、テレビに映して、誰かがその責任を番組制作者に問う?
おそらく問う人間もいるんだろう。


しかし大多数の視聴者を、すべて"非常識人"のように見るべきではない。
中には、常識外の行動を取る人もいるのかもしれないが。

もし制作者が、湧き水を飲むのが悪い行為だと判断したのならば、テレビで放映しなければいいだけの話じゃないか。
それを自分で映しておいて、いちいち断りを載せるなと言いたい。


そういえば昨今テレビでは、どこかへ入る、訪問する、行動する、そのたびにテロップ。

「許可を得て入っています。」
「特別に許可を頂いています。」
「ご本人の了解を得ています。」


そのうち映画でも、市街戦闘シーンや、XX大学の校門の表札を「東都学園大学」と貼り替えたシーンで、

「関係者の許可を得ています」

のテロップが出てくることだろう。


日本全国、"許可求め"社会
自分が責任を問われないよう、できるだけ「許可」という形をとって、相手にゲタを預ける。


この風潮が話し方にも大きく影響している。

それは、みんなが多用する、「~してもらっていいですか?」のフレーズ。

「ご記入下さい」と言えばいいものを、
「ご記入していただいていいですか?」

記入しなきゃ絶対受理しないくせに。
わざわざ許可を求める表現にする。
 

「要求」を「許可」にすり替える。

自己保身のために許可を求めてもいいだろう。
しかし記入する気がある人に、わざわざ一歩下がって許可を求めると?
そこに「気持ちの段差」ができる。
それが「伝わらない」の始まりなのだ。


あるアメリカ人が言っていた。
「日本では、許可が出てないと人はやらない」
「アメリカでは、禁止されてなければ常識判断でやる」
「欧州では、禁止されていてもやる」

(僕はそうは認識していないけれど)
 

正しい常識を持とう。
その常識で判断しよう。

それに従った言動をしよう。