こんにちは、スピーチトレーナー高津和彦(こうずかずひこ)です。
今回は、話し方の上達の直接の話題ではないですが、「上達する」視点から見て非常に関連した話をします。
僕はいろんな集まりでピアノを弾くことがある。
やはり音楽があると場が盛り上がる。
それに、主催者が弾いてって言ってくれてるのだし。
だから僕は責任を感じて「聴かせ」ます。
最大限に。
なぜなら、ぼくを知らずに来ている人が、僕の演奏で気分が良くならなければ
何のために弾いたかわからない。
主催者に迷惑をかけることになる。
だから頑張る。
嬉しいことに、弾き終わって席に戻ると、何人かが声をかけてくれる。
ありがとうって。
良かったって。
中には、音楽の才能ありますね、と言って下さる。
嬉しいことだ。
でも僕は、多少は才能かもしれないが、これは練習の成果だと思っている。
毎晩(というか朝かな)、2時3時まで弾くこともよくある。
それはピアノが好きだから。それで少しでもうまくなりたいから。
だから、これまでいっぱい練習してきた。
そしていろいろな人に教えを乞い、多くの場所で聴衆を前に弾く。
ちょっと勇気を出して。
いつも100%、単に弾きたい弾きたいと思っているわけではないんです。
弾くからには「喜んでいただく」という結果を出さねばと思っている。
一方。
みんなすぐ「私は才能ないからだめだ」と言う。
「才能があったらいいんだけど」と言う。
「あの人は才能あるからいいな」と言う。
で、実際ちょっとやってみただけで諦めてしまう。
才能とはそんなもんじゃない。
まだ何もやってないじゃないか!
100年早い!
ずっとずっと頑張ってきて、最高にできて「あ、私、才能あるわ!」、
逆に、めちゃくちゃやって努力してきて、良くできてるのに「あ~私、才能ない…」
なら許す。
まだスタートしたばかりなのに。
少し出来なかったからといって、「オレ、才能ないから~」なんて簡単に言うべきじゃない。
以前、師事した先生が言われたこと。
今でも覚えている。
「生徒さんに対して、才能が無いなんて、そんなおこがましいことは私は絶対言えないです。」
「ずっとやってきて、ある瞬間に隠れてた才能をパッと開花させること、よくありました!」
「長く教えてきて、いろいろな人を見てきて、それがわかるんですよ。」
「こうなりたい!」と思って、失敗しても、出来るまでずっと続ける。
そして、そうやっていて、できた時に、本当に満足した時に、
「あ、俺ってちょっと才能あったのかもしれない? ちがうかなぁ?」
くらいのものだ。
それが「才能がある」ということだ。
結果、才能があったんだ。
才能と言うカテゴリーを心から、頭から、外そう。
才能は努力の上に開花する。
「話す」ということもまさにそうです。