気を伝える

こんにちは、スピーチトレーナー高津和彦(こうずかずひこ)です。

擬態語にまつわるエピソードから、今回は「気を伝える」ことを考察します。

 



ベストスピーカーのスタッフ、Aさん。
彼女は最近、肩が凝ると言って接骨院へ通っている。

その先生、まさに名医。マッサージをする時、ツボをドンぴしゃと当てる。
が、患者の方は、痛いツボをギューギュー押されるから自然に身体に力が入ってしまう。
でも患者さんの身体に力が入っていると効果が出ない。

そりゃそうだろう、揉みほぐそうとしているのに筋肉に力が入っちゃうんだから。
それに揉む方にとってもシンドイ。


そこで、その先生は常套句を発するのだが、
それが、

「はい、力抜いて~~『ふにゃ』」。

その「ふにゃ」を聞くと、ほんとに身体から「ふにゃ」っと思わず力が抜けるって彼女は言う。
なぜなんだろう。
確かに、「はい、力抜いてっ。リラックスして!」だけでは、すぐにそうはなりにくいだろう。


そこでこの現象を発声学的、心理学的に考えてみた。

「ふにゃ」は擬態語だ。
擬音語ではない。
そんな音は身体から出ないものね。


「ふにゃ」となってほしい時に、
「ふにゃ」にふさわしい心地よさげな声の音量。
「ふにゃ」にふさわしい滑舌の弱さ、頼りなさ、語頭が立たず、語尾が消え入る。


先生のその「脱力させてあげよう」の気が高まって、「ふにゃ」と発せられるのだ。

だから、その言葉が耳から入ってくると、一瞬にして力が抜けちゃうんだって。
たぶんその時、揉む手もふわっと肩に添えられている程度の優しさなんだろう。
結果、効果ありでしょ!

恐るべし、擬態語。


ところが以前この擬態語について様々な揶揄を聞いたことがある。
頭に残っているのはジャイアンツの長嶋監督の言。

「キッと見てパッと判断してカーンと打つんだよ!」

意味不明とか、感覚語だとか、ボキャ不足だとか、よく取り上げられていた。
確かにそういう一面もあるだろう。
でも果たしてそうだろうか。

「集中して見て、瞬間的に判断して、バットの芯で打つんだよ!」
と言えば、意味はより明確だ。

が、氏の意図する感覚は、この説明的言葉で瞬間的に伝わるのだろうか?

実はこの擬態語表現には長嶋監督の感覚的な心が宿っているのだ。


話変わって。
僕の知己、Bさんは弁護士だが、忙しいことを表現するのにいつも、
「証拠集めに、もう『やっさもっさ』やってるんですよ~!」

どこの言葉だろう?
でも、あたふたとひたすら汗かいて一生懸命やってる姿がパッと目に浮かんでこないか?


さらに。
特に関西の芸人、落語家や漫才師は擬音語が多いことに気付いた。

「びぃやぁあ~」、
「ぶわぁ~」、
「ばさぁ~っ!」

確かに意味不明かもしれない。
でも感覚的にわかる。
伝わる。

そしてその感覚は、話し手が「この気持ちを分かってほしい」という時には、
声が少し大きくなり、
音程が高くなり、
抑揚がついてくる。


擬態語が自然に口をついて出るような人は―、
自然に心を込めて話ができている人だと言える。


そうじゃない人。
無理にでも擬態語を使って話してみて。

「できないよ、そんなの」って言う人。
それは自分の心がそれにストップをかけているんだ。
羞恥心という狭い心が。

出来ている人にとっては、それは羞恥心でもなんでもない。
それは伝えたいという「気」の現われなんだ。
気の権化。


そしてそれが音(おん)となって発せられた時に、その「気」はより伝わる。
 

 

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